会員 随想

随想((株)小林設計 藤澤一雅)

(株)小林設計
藤澤一雅

 令和3年4月に代表取締役社長に就任いたしました。浅学菲才ではございますが、社業発展のため力を尽くす所存ですので何とぞ前任者同様、格別のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
 さて、私は、昭和31年3月、大工のせがれとして生まれました。当時の慣習からすれば父の後を継ぎ、大工になるのが普通でしたが、どうにもその世界にはなじめず、設計の道に進むことにしました。
 昭和54年3月、第2次オイルショックの前、縁あって(有)小林設計事務所に入社しました。
 当時会社は土木の測量設計と建築設計を行っており、私は建築課に配属されました。
 狭いながらも社内は活気にあふれ、夜の出前を楽しみに毎日遅くまで残業(能力がなかったため)しました。仕事が一段落したあとの飲み会は常に盛り上がり、たいがい日付が変わるまで飲んでいました(この能力はあったようです)。
 建築の仕事は、ほ場整備事業の揚水機場のほか、農村環境改善センターや中央管理所の設計でした。県内を北から南へ、佐渡に行くこともあり、大変だと言いながら、ドライブ好きな私としては道中を結構楽しんでいました。
 その後、仕事の内容は、学校、保育園、野球場、銀行の支店、民間企業の社屋、工場、倉庫、商業施設と多岐に及び、東京両国では10階建てビルの設計もできました。
 お客様とのめぐり合いに感謝するとともに、みんなで力を合わせれば何でもできることを学びました。
 弊社は現在、土木、建築、補償の3本柱ですが、補償業務も初めは建築課が担当しました。急な工損調査をお願いしても地元の方からは快く応じていただき、本当に助かったこともありました。
 物件調査では、設計の積算のように細かく数量を拾っていましたが、標準書ができた時には救われた気持ちになりました。作業の合理化は大いに進めるべきと感じたものでした。
 入社から40数年が過ぎ、手書き図面や残業美徳の時代は今や伝説となり、これからは効率化、DX推進の時代です。Webでの情報収集はあたりまえ、コロナ禍の中で、人と直接会わなくて済むリモート会議が普通になろうとしています。
 さらに20~30年後には現在の仕事の49%をAIが行うようになるとか。アナログで育った者にとって想像もつかない変わりようです。
 しかし、手法や仕組みが変わっても仕事の本質は変わりません。
 立場は変わっても社員の幸福と社会貢献が実現できるよう、感謝の気持ちと誇りを持って日々精進していきたいと思います。

【(株)小林設計 社屋】
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