随想((有)寺泊測量設計 河上功)
(有)寺泊測量設計
河上功
8月初旬頃だと思います。
シリーズ「私」の原稿の依頼!!作文は、あまり得意な方ではないのですが、会員の皆様全員書かれているとの事ですので!!
私は、昭和30年、旧寺泊町(現長岡市)の生まれ。二姉二男の4人兄弟の一番末っ子です。
父は漁師、母は父の手伝いをしながら、仲間の漁師の網外しの手伝いをしていたそうです。
私が3~4才の頃、仕事が忙しい父と母に代わり姉たちが私の面倒を見ていたそうです。時々、兄弟が集まって、昔ばなしになると、姉たちからよく聞かされました。お前は目を離すといつも裏の舟小屋で遊んでいるとのことでした。当時、我が家の裏側は、舟小屋でそのすぐ前は海でした。
小学生2~3年頃の夏休みは、毎日のように海へ直行。宿題そっちのけで遊んでばかり。夏休みの終わり頃になると、いつも親から怒られてばかりいました。
小学生5~6年の頃から、海の埋め立て工事が始まり、舟小屋の前に国道402号が出来始めました。
高校生の頃には、国道の反対側に家が建ち、海がだんだん遠くなってしまい、今では近所にコンビニ、旅館が建って周辺は変わりました。
それから15~16年後に皆さんご存じの「さかなのアメ横」が出来、一躍寺泊が有名になりました。
当時は、土日、ゴールデンウィーク、お盆、年末年始などは、国道は大渋滞。仕事の度、迂回したことを時々思い出します。
会社は、「さかなのアメ横」から徒歩で10分くらいの所にあります。
高校卒業後、3~4年新潟の測量会社へ入社。後に東京の測量専門学校に入校。卒業後、4~5年会社を寺泊に設立しました。
会社設立2年後に、長年付き合いをしていた妻と結婚、妻は旧吉田町(現燕市)で、縫製関係の仕事をしていました。
結婚後、一男一女を授かりました。長男は弊社で修行中。娘は東京で生活をしています。
長年連れ添った妻は、6~7年前に癌が見つかり、医師からは「大腸がん、ステージ4です」と診断されました。すぐに手術との事。
手術は無事成功しましたが、他に転移する確率は70%以上ですと告げられました。
手術後3か月検診で、肺に転移が見つかり、手術はできないとの事。抗がん剤治療に切り替えますと言われ、一年半後治療の甲斐なく、亡くなってしまいました。
私は今でも思い出します。医師から告げられた余命宣告。手足に震えが来た事。まだまだ若い妻に先立たれるとは、思いませんでした。
葬儀の朝、ある社長から告げられた言葉が今でも心に残っています。
「女性に先立たれることは大変だ」まったくその通りだと思いました。掃除、洗濯、食事etc本当に辛い日々が続いていますが、これもまた人生の試練だと思うようになりました。
今は、会社の後継者のこと、仕事の先行きへの不安などがありますが、人生70才まで頑張ります。