会員 随想

回想録(大原技術(株) 吉楽雅博)

大原技術株式会社
吉楽雅博

【はじめに】
 この年齢になると「人生」を考える事が多い。
 青春時代、社会人の時代、離職後の人生、等々。生まれた時代や環境で、人それぞれの「人生」に違いがあると思うが、精一杯生きぬく事の大切さは古今東西において変わらないはずである。
 以下、この機会に自分の生き様を振り返ってみた。
【青春時代の思い出】
(1)大学3年時、新聞募集で「オートキャンプ世界大会」がイタリアで行われる事を知り、高校以来の親友と、日本チーム(約30人)の一員に加わり1週間の「交流会」に参加した。その後の約3週間はオートキャンプで移動しながら、オーストリア、スイス、ドイツ、フランス、イギリス等のヨーロッパ各国の名所を見学する事が出来た。
(2)大学4年時、就職先も決まり、別の親友と北海道を旅した。約1ヶ月間は札幌、利尻島、礼文島、知床半島、摩周湖などの各地を「周遊券チケット」を利用してテント生活の旅を続けた。そのあと、20日間ほどは「畜産農家」でアルバイトをし、資金を稼いだ。朝5時前から牛舎の清掃、餌やり、搾乳の手伝いなどで大変だったが酪農家の厳しい生活を体験する事ができた。
(3)そのほか、北アルプスや白馬連峰の縦走、志賀、白馬、蔵王のスキー等々。社会人になってからも友人達と楽しい青春時代を過ごした。

 家は貧しかったが、理解ある両親にとても感謝している。ヨーロッパの旅、北海道の旅の経験は、その後の「私の人生」の原動力になっている。
 費用はもちろん借金で、就職後、毎月返済していたが、高度成長期の波に乗り早々に完済できた。時代に恵まれていたと思っている。
【思いがけない転機とその後の人生】
 昭和47年4月、“将来は家を持ちたい”という夢から、本社が東京で地方都市に営業所があるF社に就職した。入社後、偶然にも長岡営業所に配属された。仕事は順調だったが、8年目のある日突然、頸椎に激痛が走り体調を崩した。車の運転もままならず、本社の事務職を推薦されたが回復する自信がなく、昭和55年の春に退職した。
 治療に専念する道を選んだ私に、“お前がこんな形で苦しむとは・・”と言った母親の寂しそうな頻が今でも忘れられない。
【大原技術(株)に入社(当時は大原測量設計(株))】
 昭和56年6月、職安の紹介で縁あって採用して頂いた。文科系の出身で「測量」や「設計」の言葉さえ知らない場違いの人間だったが、上司や周りの皆さんから親切に教えて頂いた。当時、業界の中で私が一番のど素人だった。
【忘れられない両親の言葉】
父は“ただ酒を飲むな”、母は“芸は身を助ける”とよく言っていた。この業界に入り趣味の「ゴルフ」、「スキー」、「社交ダンス」、「トレッキング」の経験が営業の持ち味となり、随分助けられた。
 平成24年4月、「社長就任の挨拶状」を実家の仏壇に収め、感謝の意を込めて両親に報告した。
【結びに】
 役に立ちそうもない「回想録」ですが、業界の若手の皆さんに、素睛らしい人生が待っている事を信じて結びに致します。

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