幼い頃の夢(㈲中越測量社 小林武)
有限会社中越測量社
小林武
50才に届く頃から、若い時代の夢を一つずつ健康に留意しながら実現したいと思う様になりました。
丸刈頭の小学3~4年生の頃だと思いますが、国語の教科書に、戦後最初に皆既日食が北海道の礼文島で観測された文が載っていました。情報化時代の昨今と違い、唯一の情鞍源は茶の間の1台のラジオと新聞、子供ながらに持っていた知識で、一度はこの島を訪ねて見たいと思っていましたが、心の隅っこに忘れさられていた。
定年を迎えた方が、自転車で日本縦断の記事を読み、俺だってできると思い、若い頃の夢の礼文島を夏休みを利用して、2人の子供と計画する。長岡より新潟から新日本海フェリーを利用して、早朝着の小樽から、一路北端の宗谷岬を自転車で目ざす。
日本海の「オロロン街道」を北上、春先からこの為に体力増強に努力してきたが、年令相応の体力低下にやっと気付きました。北海道のイメージは、大草原、地平線まで続く牧歌的風景等は、自動車運転の時の風景で、アップダウンの連続にはまいりました。 夏の暑い日差しを背中に浴びながら、海上遠方にそびえる利尻富士、サロベツ原生花園を眺め一路、北極星の一角を像ったというモダンなデザインの石碑が立つ場所に到着する。人が多い。順番待ちで記念写真、どんな思いでこの地を訪れたんだろう。
稚内ユースに宿泊して、翌日東日本海フェリーで、礼文島香深に到着。観光バスに乗り、ストコン岬に行く道中、ガイドが車窓から皆既日食観測跡地を紹介してくれる。道端の小高い丘に標柱が建っており、文学判読不能、乗客皆さんも無関心流れる風景に首を振り、とうとう来たと、心の中で叫んだ。4~5年後になって子供になぜ礼文島に行ったか話した記憶があります。
その子供も社会人になり、めったにしか電話してこない。これからも、探求心を持って、懸命に色々な事に夢を持って生きたいと思うこの頃です。