会員 随想

芳澤謙吉翁の顕彰活動に携わって((株)東北測量設計社 古川正美)

株式会社東北測量設計社
古川正美

 秀麗の山妙高山を望む頸城平の真只中、主要道上越頸城大潟線に程近い上越市大字諏訪に芳澤記念公園・記念館があります。環濠屋敷の面影を残す公園は、明治・大正・昭和と激動の時代に活躍した外交官芳澤謙吉翁の生家跡に設置されています。私が、縁あって謙吉翁の顕彰会活動にかかわって3年が経過します。この中で捉えた謙吉翁の功績と顕彰会活動の一端を紹介します。

【謙吉翁】謙吉翁は、1874(明治7)年1月24日、当時の頸城郡下堀之内村の地主の家に生まれました。1899(明治32)年に東京帝国大学文学部英文科卒業と同時に外交官試験に合格、翌年1900年の屡門(アモイ)領事館補として沿任以降、中国各地及びロンドンの領事館に赴任しました。1906年4月からは外務省政務局課長、続いて大使館ー等書記官、総領事、大使館参事官、本庁政務局長を経験後、1923年からは中国特命全権公使、1930年にフランス駐節特命全権大使兼国際連盟常任代表を歴任、1932(昭和7)年1月14日に犬養毅内閣の外務大臣として入閣しましたが「5.15事件」で辞任、その後貴族院議員に勅選されました。1940(昭和15)年には、蘭印特派全権、蘭印より帰国直後の1941年11月に仏印特派全権大使、1945(昭和20)年8月に枢密顧間官に親任されました。戦後は、公職追放を経て1952年より中華民国特命全権大使として台湾に赴任、1956(昭和31)年2月に免官となっています。
 この間、我が国と深いつながりのある中国に前後20年を在任、アジア通外交官として多くの実績を残しました。中でも内政激動の中国での我が国の権益の確保、ロシア革命後の日ソ基本条約の締結、満州事変勃発時の国際連盟での各国との対応、満州国独立、上海事変等への対応などを通して、やがて到来する太平洋戦争開戦への胎動期に重要な役割を果たしました。また、蘭印経済交渉、仏印での大使府開設・軍事協定の締結など開戦直前の準備でも重要な一端を担ったのでした。戦後の中華民国大使としても、中国での長い外交経験、人脈により大使館開設・信頼ある国交関係の確立に大きな役割を果たしました。

【顕彰会】近代外交史上に燦然と輝く謙吉翁の功績を顕彰し、その功績を長く伝えようと1962(昭和37)年11月3日「芳澤謙吉顕彰会」の設立総会が行われました。顕彰会設立後、様々な顕彰活動が行われましたが、謙吉翁の死去、支援してくださった高田市の阻江津市との合併、中心になって取り組んだ役員の高齢化など、時間の経過とともに顕彰会は次第に休眠状態となり、それに伴い公園も荒れた状態となっていきました。
 2011(平成23)年、上越市地域活動支援事業が実施されたのを機会に、顕彰会は「芳澤謙吉翁顕彰会」として同年11月7日に再発足、3年間に渡って支援事業によって記念公園・記念館の整備を行いました。また、公園環境の整備とともに講演会や研修会、かつての謙吉翁の住まいから移築した茶室「米南荘」での茶会、広報活動を行うなどの活動を行っています。
 顕彰会活動は緒に就いたばかりですが、地道でも息長く続け、激動の時代に常に国家の針路の選択を迫られるような厳しい時代に生きた謙吉翁の生き方を、多くの皆さんとともに学んでいきたいと思っています。

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