会員 随想

”岐路”((株)総合都市開発 山本眞)

株式会社総合都市開発
山本眞

 シリーズ「私」への寄稿依頼が舞い込みました。
Sin.Cosinなら分からんでも無いのですが、人様に披露できる話題も無く、考えた末に今日まで測量設計の業界に携わって50年、去就時の思いを忘れないうちに振り返ってみました。

 私が父の仕事を意識したのは、中学3年の東京鎌倉への修学旅行の時、神奈川県庁在職中に鎌倉から江の島までの湘南道路を計画したと地図と説明文を渡され、こんな事したんだと思いました。又、高校生の時には、新潟市役所に奉職していた父が、道路や公園計画等の青焼き図面を持ち帰り色鉛筆での着色や図面折を手伝わされました。
 特に、白山神社周辺の堀やポンプ場を埋め立て道路にする計画図は、その後の整備工事を含め鮮明に思い出すことが出来、この頃から父と同じ道を歩む伏線が敷かれていたのかも知れなかった。そう言う私は、中学校、高校と園芸活動で多種多様の草花を育てることが楽しく、夏休み中でも朝夕登校しての水遣り当番も苦にならない程園芸にのめり込んでおり、大学も造園学科への進学を目指していた。
 そんな私が高校3年の夏、父が家族を集め測量設計の会社を作る旨の相談が有ったが、我関せず!この時期の私は半年後の入試を目指した追い込み時期でもあった。
 高校の進路指導室に相談に行き、何気なく各種学校のパンフレットを見ていると、当時、日本列島改造論で一世を風靡していた田中角栄先生が校長をされていた学校法人中央工学校で、新たに測量科が新設され第1期生を募集との案内が目に留まったが、後日の私の人生を導く事に成ろうとは、全く予想できなかった。
 一方、測量設計業として独立する父は、当時は造成地だった新潟市信濃町の親戚の土建屋さんの倉庫を改築し、倉庫番の方と2人で開業の準備を進め、玄関脇には自作の「有限会社・総合都市開発工業社」の看板も掲げ6畳ー間に土間だけの事務所の主として一歩を踏み出していた。
 当時は私も受験生、模擬試験を受けたり補習を受けたりしていたが、休みの日には測量の手元や青焼図の色鉛筆での沿色や図面の折り込み作業を頼まれる事もたびたびであった。
 なんせ、2人所帯に手伝いに来て貰える方も御出でに成ったが机も2台しかなく、隣の酒屋さんから一升瓶を入れる木枠を借りて来て木製製図板を載せて机の足しにした事も有り、この頃に、父の携わっている仕事に若干ではあるが興味が出始めていたのかもしれない。
 受験シーズンと成り、3月の雪降日に農学部の入試に臨んだが思いを達成することが出来なかったが、我が人生の岐路と成る中央工学校測量科へ進学する事と成った。

 私が測量設計業に携わって間もなく50年、関わっていただいた社員は無論、協会々員の皆々様、諸先輩に支えられて今日まで歩んで来ることが出来ました事は、人生の大きな宝物と成りました。
 先代からの社訓である「信なくして立たず」、これからも顧客の皆様の要求事項を満足できる成果品を提供し、信頼を引き続き得ることが出来ます様ように、社員と一丸と成り、日々知識と技術の研鑽に邁進続けたいと思います。
 御拝読に感謝です

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