会員 随想

重圧に負けるな((株)レベラップ 小出子恵出)

株式会社レベラップ
小出子恵出

 歳を重ねると他人に昔の話をしたくなる、若い頃の話をしたくなったのは老人になった証拠なのかもしれません。“新測協だより”が届く頃には、私は年金を満額頂ける予定です。
 私の地元には「粟ヶ岳1293m」「守門岳1537m」という、登山口との標高差はどちらも1100m以上あり、登山をするには絶好な練習場があります。しかし、平成15年まで地元の山は登ったことはありませんでした。
 それまで、全く山に登ったことがない訳ではありませんが、もっぱら仕事で三角点を利用するために登るという楽しくない山登りでした。
 足尾銅山に通じる国鉄足尾線、現在はわたらせ渓谷鉄道になっています。この渡良瀬川に治水ダム(草木ダム)を造る計画に伴い鉄道を川端から山中へ移設することになり、その測量に入りました。二十歳の時です。神戸(ごうど)駅から沢入(そうり)駅間の延長6kmの移設で、うち3kmが一直線のトンネル、2kmがカーブのトンネル区間です。
 先ずもって基準点測量の机上計画に基づいた三角測量・三角鎖の選点です。当時は三角点の配点が少なく、基線となる三角点は近くになくて苦労したように記憶しています。標高は高い山で1500m強、宿泊地の標高が400m程ですから標高差が1000m程あります。地元の営林署OBの案内で山登りです。山へ通じる道らしき形が残っているところもありますが、大方は、藪を伐開して進みます。岩場を登るときには、地元の人からは、現場で雑木を「焼鈍し鉄線」で結束した梯子を造り、岩に固定して道を造ってもらいました。さすがと感心したものでした。
 視通が利かず広く伐開をしたり、頂上が平坦な山は、造標が必要な個所もあり再び造標材料を担いで登りました。選点が終わったときから私等は観測班です。観測が始まると4時半起床朝食、5時宿を出発、10時頃山頂に着き観測をします。晴天の日は陽炎(かげろう)が強くて1点の観測で終了です。曇天の日には低い山との組合せで2点を観測することもありましたが、10ヶ所程の山を選点・造標と観測の少なくとも2回は登りました。
 この頃は今のような光波測距儀はありません。ましてやGPSなどありません。ジオジメータという測距儀がありましたが、そのバッテリーが途轍もなく重く、点間を12回計測で上下の値を除いて平均値を出すという代物で、三角点間のチェックや基線のチェックに使用する程度の機械です。
 三角鎖の計算は対数を使っている時代です。この頃、鉄道の測量があると基準点担当になり、三角点と付き合って来ました。
 測量の現場に出ている頃は、休日に山菜やきのこが出ている所を教えてもらっても山に入ることが嫌でした。
 現場に出る機会が少なくなった頃、山登りをした後で温泉に入る企画があると誘いを受けました。平成15年のお盆に「燕(つばくろ)岳2763m」から「常念岳2857m」のアルプス銀座と云うトレールを誘われ7人の友人と歩いたことが、山を親しむことの始まりです。
 中房温泉の登山口から登り始め、途中の合戦小屋で休憩、一玉を8等分した一切れ800円のスイカの美味かったこと。棒になった足で辿り看いた山小屋の冷えたビールの味は今でも忘れられません。
 燕岳からの御来光は、意識をしないで自然と太陽に手を合わせたくなる、自身の足元の影が雲海に、頭部の影は遠くの山に届いているかの如く、また、槍ヶ岳が朝日を浴びて金色に輝き感動的な光景でした。朝食後出発して間もなくライチョウの親子と遭遇、コマクサなどのお花畑、燕岳から大天井(おてんしょう)岳を経て常念(じょうねん)岳まで、グラビア写真を見るかのような槍ヶ岳を中心にした北アルプスの山々:立山連峰、野口五郎岳、槍ヶ岳(3180m)、奥穂高岳(3190m)を含む穂高連峰を眺めて移動するルートです。
 この山登りでハマッテしまいました。なぜ辛い思いをしてまでと聞かれますが、「そこに山があるから」ではなく、「借金の重圧に負けない精神・体力を維持するため」楽しい山登りを続けています。

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