会員 随想

空を飛びたいな(㈱アムス 田村邦之)

株式会社アムス
田村邦之

 近頃ではまるっきり空を飛んでいない。5年くらい前までは週末になると好くパラグライダーを持って福島県の温塩加納村(喜多方市の北側国道121号線沿い)の三ノ倉パラグライダー工りアまで出かけて行ったものでした。そもそも私は小学校の頃から大人になったらパイロット(飛行機の操縦士)になりたいとの夢を持っていました。しかし中学、高校になるとそんなことは忘れて勉強もせずにのほほんと過し、気が付いてみたら測量会社に就職していました。当時の会社は大手航測会社の下請けをしており、良く航空写真を見ながら仕事をしていました。航空写真を見ているうちにだんだん小さい頃を思い出し「撮影する時に飛行機に乗せてもらえないかなー」と思いながらのらりくらり17年余りが過ぎた頃、友人から「おれ、胎内でパラグライダーを始めたけどおまえもどうだ?」と誘いがあり忘れていた空への思いが一気に噴出しスクールに入る事にしました。
よしこれで”悠々と空を飛べるぞ”と、その日の内にでも飛べる物だと思い、行っては見たがそんな甘いものではなかった。考えてみれば鳥だって巣立つときはチョコンチョコン跳ねながら練習して初めて飛べるのに人問である私がそう簡単に飛べるはずは無かった。
 まずは基礎練習から。もともとパラグライダーは名前の通りパラシュートを改良しグライダーの様に滑空できる様にしたもので、飛行機やハンググライダーのように最初から翼と言う物を持っていません。
そのため飛ぶ為には二枚の布を縫い合わせ袋状にした所へ空気を入れて翼を作らなければなりません。そしてその練習がまたキツイ。入校したのが7月で真夏日の続く中、胎内スキー場のゲレンデを重さ10kg程、比高差にして30mぐらいを上っては走って降りの繰り返し。これを一日に30往復はしていたと思う。それと平行して、飛行する為の格好良く言えば航空力学や風を読む為の気象学も少々勉強して、その甲斐あって秋には高度差50m位から飛ぶことが出来るようになった。初めて地面から足が離れたときは何ともいえない気持ちだった。しかレ幅7m近い布製のグライダーを操作するのは容易ではなかった。
ある時はブレーキをかけるタイミングが遅くゲレンデ正面のレストハウスのコンクリート壁に激突してみたり、風に煽られてスキーリフトのワイヤーに引っ掛って宙吊りになった事もあった。そんな事がありながらも2年目の初夏には第一リフトのトップから先輩達と一緒に飛べるようになり、秋には(社)日本ハンクグライディング連盟からノービスパイロット証を貰い遂に3年目の初夏には念願のパイロット証を取得しました。
 この頃同じクラブ員(スクールの生徒でなくクラブ員だった)の先輩に「この胎内エリアより広く面白いエリアがあるからそっちにも行こう」と誘いがあり、福島県の三ノ倉エリアヘ行く事になりました。
行ってみてビックリ!今までの胎内エリアはスキー場を利用した所でテイクオフ地点もランディング地点も広く、飛行中のアクシデントでもゲレンデの広い草原に降りる事が出来ましたがこのエリアはまるっきり正反対。テイクオフは助走距離20m程度でその先は飛び立つ為に邪魔だった林の切り株のある急斜面(45度)、ランディングは農家から借りた1反歩余りの休耕畑でそこへ進入する手前には民家がある。更に困ったのは飛行距離であった、私のグライダーは滑空比が1:7程度でこのエリアの高度差と距離の比は1:7.5である。つまりテイクオフ直後の高度ロスとランディング手前の民家の高さを考えると計算上飛べないことになる。そこで飛行中どこかで上昇気流を探して高度を確保しながら飛ばなければならない。胎内エリアでしか飛んだことの無い私には無理であった。
 ここのエリアを管理運営しているインストラクターの先生は、私が初心者のパイロットである事を知っていて、自分の生徒を数人ダミーで飛ばしてくれた。初めての長距離長時間(10分位)飛行であった。”気持良かった”何せ胎内では長くて5分位しか飛んだ事がなかった、それ以来グライダーも最新の飛びの良い新品を買い4年ぐらい通ったものでした。

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