つめたい水の中で(㈱小林設計事務所 瀬高正道)
株式会社小林設計事務所
瀬高正道
この度の中越地震に被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
「瀬高さん!車が見えません!」その一言が、私を恐怖の一夜に引きずり込むとはその当時全く想像してはいなかった。
-予兆-
その日、私はいつものとおり会社に向かっていた。新大橋から見下ろす五十嵐川は増水し、約10年前の光景が頭に浮かんだ。河川敷に駐車した車が水没してしまったあの光景が・・・・・・。
連日の激しい雨の中、巻の入札が終わり新潟経由で信濃川左岸の堤防を走っていった私の携帯が鳴った。
「今どこだ。」小林部長の声。「三条に戻ってますが。」「早く帰って来い!三条に避難勧告が出たぞ。」避難勧告などという単語はニュースでは耳にするが、現実自分に関係するとは思いもしていなかった。
-緊張-
午後一番に会社に戻った私だが、状況は一変していた。一部社員はすでに自宅に戻り、堤防決壊の情報も入ってきた。窓からみえる信越本線の反対側の住宅や車両は、土色の濁流に徐々に呑まれていく。「どんどん水位が上がっているぞ。」「これは危険な状態になっていく。」と役員協議のうえ全社員に帰宅指示が出された。
「瀬高さん、車がみえません。」帰宅しようと階段に出た私に声がかかった。
「なに?」道路には南方向から水が流れ込んでいる。新館の駐車場をみると、なんと一週間前に購入したばかりの車両が消えていた。同じ駐車場に止めてあるマイカーから長靴を取り出し車の行方を探した。敷地奥の垣根にとどめられ彼は見事に隙間ギリギリに駐車していた。その間、水は膝から股間を浸していた。本館に戻ろうとした私の目に人影が入った。様子を見に戻った土木部長は自分の車に戻ろうと濁流の中をもがいていた。
-長い夜-
二階の事務室に上がると、まだ二名の社員が残っていた。浅野と藤崎の二人であった。すでに停電状態にはいり、電話は「プルル・プルル」と2回鳴ると切れてしまう。二人が三階からガスストーブと携帯ラジオを持ってきた。ガスと水道はOK。食料は冷蔵庫の中のお菓子とアイスクリーム。そんな事を調べていると階下から「ガチャン!」とものすごい音が響いた。藤崎と二人で1階に下りたが、そこはドアの隙間から水が入り込んでいた。膝くらいの水の中を奥に進むと、冷蔵庫が寝転んでいた。二人で冷蔵庫・給茶器・電話をテーブルの上に上げた。「これ以上、水が上がったら駄目ですよね。」「そうなったらしょうがないよね。」と言いつつ作業をしていた。
停電用に切り替えた電話は、はやく受話器を取上げれば話せる状態になっていた。受信を二人にまかせ、私は自分の携帯電話で発注者に電話をした。「水害で、入札に行ける状況ではないのですが?」「検討中ですので、明朝再度電話ください。」「後日、辞退届を郵送して頂ければ結構です。」「辞退届をFAXで送ってください。」役所によって、その対応は様々だった。その後三人で脱出を試みたが首まで水に浸かり断念した。濡れた体をストーブで暖を取り長い夜を過ごした。翌朝、「俺の家に来い!食料あるぞ。」と小林部長の声。ようやく「助かった」と実感した。入札書を入れた鞄をビニール袋に入れ、三人とも頭上に掲げ、皆が待つ新大橋へ。油くさいなか、前夜の最高水位は我々の頭を超していた。
このような災害を招かない高度な社会資本の充実が、私共協会員の使命ではないでしょうか?
最後に女性社員の方々へ 貴女の別腹が人を救います。感謝。