自分を見つめる(㈲高橋測量事務所 高橋秀雄)
有限会社高橋測量事務所
高橋秀雄
久しぶりで二泊三日の旅に出た。
旅といっても小学校時代の同級会で参加者も十名程の気楽な仲間の集まりである。
幹事さんの計らいで三日間初冬の澄み切った青空に聳える富士を周辺からたっぶり眺める趣向である。
ところがである、生憎の時雨模様の三日間で残念ながら天候に見放されてしまった。
それでも二日目の朝食時十分程その雄姿を見せてくれた、窓外の紅葉越しの富士、峨峨として雄大、窓をはみだす裾野の広がりに箸を休め見入ってしまった。
富士はさておき半世紀余を俎上に載せてそのお喋りの賑やかなこと、小学校入学時から停年退職後の近況まで話は尽きない、女性話し手男性聞き手、所詮男は仕事の話題を取れば中身は空っぽ、こんな時のネタを仕入れておくべきだった。
小学時代の鮮明な記憶がそれぞれ違っているのが興味深いことだった、朝礼時に便所の方に向かい深々とお辞儀をする、小一には解ろう筈もない、皇居遙拝である。
糅飯や蝗取り雑魚すき、木の実やツツジの花、時たま葉に出来る白色の小塊をモチと称して食べた、これが実は病葉だったことや、焼き柿で便がつまった思い出など総じて食べ物の事が多くこの飽食の時代では考えられない、しかもまだ五十余年しか経っていないのだ。
さて近況となると又千差万別、概して悠々自適の生活に入ったとお見受けした。
更にピンピンコロリ等とゆう言葉がサラリと□から出て、おや、もうそんな歳になってきたのかと憮然とする、十年前の酒を呷り、天下国家を論じカラオケで高唱していた機関車は何処にいったのか。
誰某は癌で亡くなり、彼は趣味の会から帰り翌朝冷たくなっていた等サラリと語られ、あわよくば肖りたい、そんな境地になりだしたのだ。
日曜日にバレーボールの大会があり中学生主力のチームの助っ人(足引っ張り)で一緒にプレーさせてもらった、セッターをやれといわれポジションに付いてみたが2.38mは高いまるで天井だ、思いっきりジャンプしても指二、三節しか出ないが目障り位にはなるだろうと真面目にブロックの真似事をしていたら翌日の腿の痛いこと、オヤ俺の脳中にいつの問にかピンコロリが芽生えたのかナ。
懐かしく心温む旅の余韻に浸っているこの頃である。