越佐路ところどころ

潤いとやすらぎの里 【中之口村】

申之口村は新潟県のほぼ中央、西蒲原郡の南東の端に位置し、東側は中ノ口川をはさんで白根市、西側は巻町及び吉田町、南側は燕市、北側は月潟村及び潟東村に接しています。
地形的には、東に越後山脈、西に霊峰弥彦山、角田山を望む穀倉新潟平野の平坦肥沃で生産力の高い沖積層の地域です。
昭和29年、小吉村、道上村、燕市の旧松長村の一部が合併して誕生した村で、農業を基幹とした純農村として発展してきました。昭和53年に北陸自動車道が整備されたことと、農業構造改善による余剰労働力と若者の地元定着を促進するため、農工団地・住宅団地を造成しています。
また、潤いとやすらぎのある地域社会の創造を目指し、先人が築き上げてきてくれた豊かな田園と四季折々の美しい風景や英知を再発見して、この地に住む人にとって「住みよい郷土、誇れる郷土づくり」を村民一丸となって進めております。
[面積] 20.16㎞
[人口] 6,661人
[世帯数] 1,560世帯 (平成14年1O月31日現在)
中之口村

●門田ハサ並木
刈り取った稲をかけて自然乾燥をおこなった重要な農業用施設で、昭和初期の蒲原地域には各所にみられた。
昭和40年代からは火力乾燥機等が導入され、徐々に伐採されてきました。県道沿いの「門田ハサ並木」が、歩道工事で伐採の危機になったが、農村の貴重な遺産を残そうという気運が高まり、昭和58年に村の文化財に指定して保存されることになりました。今では珍しくなったこのハサ並木の美しさを見ようと遠くから訪れる人も少なくありません。
平成5年には、ガス灯風のナトリウム灯20基を設置して夜のハサ木をライトアップして、通る人々の心をなごませています。平成6年には、新・日本街路樹百景に選ばれましれ官民一体となって村の大切な宝物として育てていこうとする活動は、平成9年新潟県の「一村一価値づくり」の景観保存事例として紹介されています。
門田ハサ並木

●澤将監の館
平成6年、かつて大庄屋であった澤家を当時の家相図を基に復原し、「澤将監の館」として公開しています。
澤家初代の澤将監は、甲斐武田信玄の家臣であったが武田氏滅亡後、上杉氏を頼って越後に入り、1612年に中之□村に住み、新田開発に力を注ぎました。その功績により1616年に村庄屋に、1649年には大庄屋に任命されました。
澤家が隆盛を誇った当時の館の遺構は、御高礼場と雄大な松並木にもうかがうことができます。
澤将監の館

●先人館
中之□村に生まれた横綱羽黒山や漢学者小柳司気太、東映映画創設者大川博等幾多の先人は、さまざまな分野で輝かしい業績や文化を築いてくれました。
郷土の豊かな精神文化の礎を築いてくれた先人を顕彰し、遺徳を偲び、その生き方を大切な知的資産として未来への地域づくりに反映することを目的に「先人館」が平成12年にオープンしました。
先人の業績を示す各種資料や民族資料の展示、村民の芸術・文化の発信基地としての多目的な利用ができる施設として位置づけています。
先人館

●村の英雄第36代横綱羽黒山
羽黒山は本名を小林正治といい、大正3年に大字羽黒に生まれた。
昭和6年、風呂屋になって母親を楽にさせてやろうと東京に出た。立浪親方に体格の良さから勧誘されて、20歳の時に相撲界に入門。以来、各段優勝、各段1場所通過という前人未到の快記録で三役力士まで昇進。昭和16年横綱に推挙された。
村では、羽黒山の偉業をたたえ、銅像を建立し、ふるさと看板などで村の顔として紹介しています。
村の英雄第36代横綱羽黒山

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