会員 随想

随想((有)越路地計 青柳健一)

有限会社越路地計
青柳健一

 私は、長岡市の越路地区にお世話になって未だ間もないのですが、古い地区の住民の方々とお付き合いしていくうえで、地元の歴史(変遷)を知るということは非常に有意義と考えます。
 この機会に、私が疑間に思った三島郡の変遷(行政区画変更)について記してみます。
 私は、長岡市寺泊に生まれました。弊社の所在地は、長岡市来迎寺です。
 いずれもかつては、三島郡寺泊町であり三島郡越路町来迎寺でした。
 平成の大合併により、越路町は平成17年に、寺泊町は平成18年に長岡市となりました。
 この業界に最初にお世話になった会社で地籍調査をはじめて教えていただいた際、同じ三島郡なのに越路町と寺泊町は何でこんなに離れているのか、何で繋がってないのかと疑間に思ったことがあります。
 三島郡は、かつて古志郡の一部であったそうです。中世に信濃川左岸が分離して山東郡(さんとうぐん)となりました。江戸時代に三島郡と表記するようになり、西古志と呼ばれることもあったとのことです。

 明治12年郡区町村編成法の施行により、行政区画としての三島郡が発足し、郡役所を与板城下に設置しました。
 明治22年町村制の施行により、三島郡は4町39村で構成されたそうです。
 その後、明治30年に新潟県にて郡制が施行され、府県で処理するには小さく、町村で処理するには大きい事務を処理させるため両者の中間に位置する行政自治団体としての機能を付与したそうです。
 明治34年合併以降、三島郡は、片貝村、塚山村、岩塚村、来迎寺村、深才村、宮本村、大積村、関原村、日吉村、大津村、脇野町村、黒川村、与板町、島田村、桐島村、西越村、出雲崎町、寺泊町、大河津村などにて構成されました。かなり大きな行政自治団体でした。

 大正15年には、郡役所を廃止し、郡が地域区分名称となったそうです。
 昭和に入り、片貝村が小千谷市に合併しました。塚山村、岩塚村、来迎寺村が越路町となりました。深才村が長岡市に合併しました。宮本村と大積村が合併し、二和村となり長岡市に合併しました。関原村が関原町になり、日吉村(雲出村+烏越村十七日市村)が関原町と三島町に分割合併され、関原町が長岡市に合併しました。大津村、脇野町村が三島町となりました。黒川村が与板町と合併しました。島田村、桐島村が和島村になりました。西越村が出雲崎町に合併しました。大河津村の大半が寺泊町に合併しました。
 よって、三島郡は分断され、小千谷市の片貝村→三島郡の越路町→長岡市の深才村、二和村、関原町→三島郡の三島町→与板町→和島村→出雲崎町→寺泊町となりました。

 かつて、越路地区と寺泊地区は三島郡で繋がり、同じ郡役所の時代があったのです。
 現在、三島郡は、出雲崎町のみです。
 先日、出雲崎町に伺った際、庁舎内に昔の絵図がありました。なるほどと、この三島郡の合併経過を思い出しました。
 皆さんも調べてみてはいかがでしょう。

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