団塊世代(創測㈱ 志田春市)
創測株式会社
志田春市
この度の10・23中越地震災害並び7・13水害により被災された会員とそのご家族に対して、心からお見舞い申し上げます。私たち下越地区も40年前、新潟(日本海粟島海底)地震と、その3年後には羽越大水害に見舞われ、友人家族の生命と財産を奪われた事は小生には記憶に新しい所であります。当時はまだ、高度経済成長期であり、二男三男坊は金の卵として太平洋ベルト地帯へと就職し、残された長男は家を継ぐために地元で働く事に決定されていました。戦後第一次ベビーブームとして生まれた僕達が団塊世代であります。小中学校と一クラス50人学級で、学校も校庭も人ひと人の波でとても狭く感じ戦後のどさくさの匂いがまだ残っていました。野山は人が歩けば人に当るという時代であり、今で言う熊等は頓と見掛ける事などありませんでした。いわゆる共存共生時代であります。現在の国道7号が開通する迄は砂利道で道幅も狭く、交通手段と言えば自転車とバイク、そして鼻付バスとSL汽車のみで時間がゆるやかに流れていました。そのうちに白黒テレビが入るようになり、CMで色々な物を宣伝するものですから、当時はまだまだ物資が不足していて見る物全てがほしい物ばかりでした。やがて3C時代の到来です。これを買い求めるために日夜一生懸命働くことになります。
日本国に生まれたからには「教育・労働・納税」の三大義務を果たさなければならず、いよいよ就職先を探さなければならず、通勤可能な所は村上圏域しかない事に気づきました。当時この地域には大企業などは有りません。働き口は公共事業主体の土木工事会社である何々組か、戦後生れの測量学を少しかじっていたので、自然とこの道に就職することになりました。日の出から日没まで仕事々々の連続で、月に二日程の休みは疲労回復のため半日は寝て過ごす日々でありました。当然趣味等は作れる状態ではありませんでした。そして40路になり決断したのが五月の連休を利用して2泊3日の家族旅行と、趣味と実益?を兼ねたゴルフでした。やっと作った細やかな趣味も21世紀に入ると、公共事業削減減の煽りで危うくなって来たようです。我が世代は徳川家康訓を背負って人生を全うするしかないようです。県北に存する一業者として、又仕事が趣味の団塊世代を今一度災害復旧等のために使用頂き、事業の上流側を担う業種として、郷土の復興と発展に立ち上がりたいと願っています。













