越佐路ところどころ

角兵衛獅子の里 【月潟村】

月潟村は、穀倉新潟平野のほぼ中央、信濃川の支流中ノロ川の左岸に位置し、面積9.04m2の新潟県で一番小さな村です。中ノロ川の氾濫によってもたらされた肥沃な耕地に恵まれ、農業を基幹産業にして稲作や果樹栽培が営まれています。
また、全国的に知られた角兵衛獅子の発祥の地であり、越後鎌の製造も古い歴史を持ち、広く県内外に知られています。
角兵徹師子の由来については、様々な言い伝えがあります。そのひとつは、生国を常陸の水戸あたりと伝える角兵衛が月潟に住んでいたが、ある日何者かに殺され、その時、足の指をかみ切ったことから、犯人は足の指のない男だとわかった。
角兵衛の二人の息子、角内と角助は親の仇を討つため逆立ちの芸を演じ、「あんよを上にして、あんよの指のないものを気をつけて見れ」とうたいはやして諸国を旅したという話です。
また、農民角兵衛が、毎年襲ってくる水害などにより凶作に悩む村の生活を開こうと、子ども達に獅子踊りの芸を仕込み、近村を巡業させたのが始まりだという話もあります。
いずれにしろ、その発祥はかなり古いものらしく、江戸時代の書物「嬉遊笑覧」の歌舞の巻には郷土芸能として記載されてあり、また、宝暦6年の「越後名寄」、文化12年の「越後野誌」には”其の始不詳”とあるほどです。
現在も、角兵衛獅子の一党が古くから技芸上達・道中安全を祈願し、守護尊とした角兵衛地蔵尊があります。その祭礼日である6月24、25日には<<現在は毎年6月第4日曜日に月潟まつり(角兵衛地蔵尊祭)として開催>>、一党総て全国の巡業から帰り、その芸能を競演奉納して尊霊を慰めたと伝えられています。
貧しい農家の副業から始まったといわれる角兵衛獅子も、今は保存会の人々の努力によって、村の郷土芸能として大切に守り伝えられています。

●角兵衛獅子の村を後世に
月潟村は、現在、新潟市を中心に新津市、白根市、豊栄市、小須戸町、横越町、亀田町、岩室村、西川町、味方村、潟東村及び中之口村の合わせて13市町村で平成17年3月を目途とした市町村合併の協議を進めており、日本海側で初めての政令指定都市の実現をめざすこととしております。
この広域合併を目前にした平成15年6月21日(角兵衛地蔵尊祭の宵宮の日)、角兵衛地蔵尊近くに「越後獅子の唄」の歌碑が建てられました。これは、平成元年6月24日に亡くなった不世出の大歌手、美空ひばりさんが昭和25年(1950年)13歳の時に角兵衛獅子の少年を演じた映画「とんぼ返り道中」の挿入歌で、歌碑のボタンを押せば「笛にうかれて逆立ちすれば、山が見えますふるさとの・・・」の歌い出しで始まる当時の美空ひばりさんの歌声がながれます。
「越後獅子の唄」歌碑

この歌碑は、村内の有志が、合併しても月潟村と角兵衛獅子の名前を永久に忘れず、”ここに月潟村ありき”を示そうと建立実行委員会を立ち上げ、自分達の手により作ろうとのこだわりのなか「越後獅子の唄」歌碑で、全村民はもとより村外で活躍している村出身者や全国のひばりファンなどに広く呼びかけ浄財を募って建立したものです。
歌碑にあわせて、角兵衛地蔵尊の隣に角兵衛獅子の慰霊碑が建てられました。
碑の裏面には『角兵衛獅子の史資料では明らかではないが、往時、全国を巡業していた獅子のこども連の中には、事故や病気に倒れ、ふるさと月潟に帰れなかった子もあったと関係者の口伝により伝えられています。この度、「越後獅子の唄」歌碑建立にあたり、今も見知らぬ土地で眠っているこれら獅子の子ども達がこの地に帰り、この碑を安住の地として安らかに眠ることができるよう祈願してこの碑を建立した』(原文のまま)と記してあります。

一方、村側でも、これら村民の熱意に応えるため、歌碑と連動して、獅子に扮した姿をそのまま蝋人形にした往時(14歳)の美空ひばり像を製作し、月潟村農村環境改善センター内の郷土物産資料室にコーナーを設け、展示しました。
また、角兵衛獅子保存会が郷土芸能としての獅子舞の復活とf云承のため苦労された経過などを絵本にした『角兵衛獅子ものがたり』が、新潟市の書店から出版されました。
角兵衛獅子姿の美空ひばり像

●電車保存と遊歩道整備
昭和8年8月に開通し<<旧県庁前(現在は新潟市役所)~燕>>、沿線住民の通勤、通学の足として、また物資輸送に活躍し、平成5年8月に惜しまれつつ廃止された新潟交通電鉄の月潟~燕問の電車敷跡地約2,200mは、県営ふるさとづくり河川事業(大字月潟地内)及び農村総合整備事業(大字大別当地内)により、平成10年度から14年度にかけて遊歩道として生まれ変わりました。
沿道には、昔の土堤桜の復活を願い、村民からオーナーを募って植栽された65本の桜やその他の高木、低木が植えられ、母なる川中ノロ川の自然に触れる村民の憩いの場として親しまれています。
残りの月潟~東関屋(新潟市)聞も平成11年4月に廃線となりましたが、村では、沿線住民の思い出が少しでも長く残せればと、新潟交通株式会社から客車1両、貨車1両、ラッセル車1両を貰い受け、旧月潟駅構内に保存しています。その後、駐車場、トイレを整備し、また、遊歩道、越後獅子の唄の歌碑が完成したことにより村内外から多くの方々が訪れ、村の観光スポットとして賜わっています。
旧月潟駅に保存されている電車

これら施設は、電車保存のためのボランティア団体「かぼちゃ電車の会」や桜のオーナー等、地域住民の方々の参加による草刈、清掃等で維持され、地域みんなの施設として利用されています。
また、旧月潟駅より下流側の電車敷跡地は、味方村と隣接する大字下曲通地内の約700mが農村振興総合整備事業により平成14年度から今年度にかけて遊歩道として整備されました。残りの約2,400mについては、新潟市を含む13市町村の合併協議における新潟地域合併建設計画(新にいがたまちづくり計画)のなかで整備する計画です。
今まで紹介しましたように、月潟村では合併して月潟村がなくなっても、これら施設を中心に”ここに月潟村ありき”を後世に伝えようと村民あげて取り組んでいます。
遊歩道を散歩する保育園児

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